笹野みちるの書き捨てコラムです。


by m_sasano
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

昨夜のライブレポ&オンナと涙について

 はぁ〜〜〜。いきなりブログ始めたかと思ったら、昨夜のレポ&感想からで申し訳ないねんけど、もう、書かずにはおられんねん。はやいこと厄落としたくて.....書いて書いて、すっきり忘れたい......な〜んてね。いや、楽しかってんで(笑)。

 マジで昨夜の吉祥寺マンダラ2での出来事は、ホントにスゴかった。
お客さんにしてみれば「ヤバイもん見ちゃった」というカンジやったかもな。動物園に来てみたらオラウータンが暴れてて、ちょっとビックリしたけどおもしろかった.....みたいな。ミド姐(原みどり)の主催イベント「〜歌う女ともだち vol.7 特別晩・弾き語り大会〜 (副題:みどり失恋記念スペシャル)」のことですけどね。

 過去に色々なアーティストのライブを見てきたし、自分でもたくさんやってきたけど、「失恋記念」なんてのがサブタイトルについてるライブは見たことも聞いたことも考えたこともない。ここまで私生活さらけだしていいの姐さん!?....と、そらもうこの話聞いたときは、まわり全員度肝抜かれたもんです。

 色々な人達がこの日のイベントを、それはそれは色んな角度から心配し、配慮するがあまり、次々ととんでもなく珍妙なムードがイベント全体に添えられていくのだった。例えば......




・マンダラ2の店長は、「泪酒」なるスペシャル金粉入り日本酒をこの日のためだけに用意してくれて(実はこの酒の命名はアタシ。メールのやりとりでマン2のスタッフとどれだけ盛り上がったことか! ごめんねミド姐....)、結局ミド姐本人が一番ガブ飲みしてた。

・某巨匠プロデューサーのH.K氏などは、一歩間違えば怨念やら悲嘆やらの沈痛なヴァイブレーションが場を支配しかねないとのご配慮からか、氏自らの編集による脱力SE音源集を持ってきて下さったり(これがフタをあけたらホントにナイスな脱力ミュージック.......うっふんあっはん♪が喧しい「黄色いサクランボ」とか、小坂明子のカラオケでよく歌われる「あな〜たぁ〜〜、あな〜たぁぁ〜〜♪」ってやつとか、どっかの外人女性が習いたての日本語で適当に作ったに違いない腰が砕けそうな日本語テクノとかの数々で.....アレ聞かされたらどんな凶悪犯でも恵比寿顔になるやろけども、そのおかげで出番が来てフツーに演奏すんの苦労しました)

・もちろん吉祥寺三姉妹の妹達二人も、ずっと気が気じゃなかった。姐さんへの思いやりで溢れたセレクト曲(ときどき逆撫でアリ)とか歌っちゃったりしてね。でもいざ始まったら三女こと篠原りかは長女と同じイキオイで「泪酒」飲むわ飲むわ.......しかも! 三女ったらMCがこの日は大絶好調!! 今後は安心して三女に仕切を任せられるわ....と、妹の成長ブリに、大晦日と同じく長女にステージ上でぷはぁ〜っと絡まれながら、次女の胸中には熱いものが込み上げていたのだった。

・そんで、そんな内輪の私生活やらニンゲンカンケイなどほとんど知ったこっちゃない(当然だよね)のかわいしのぶ嬢とイーヨ姫のパフォーマンス! これがもう〜、場内の波動をさらにグニャングニャンの激トホホにさせる効果絶大で.....それにつけても、しのぶちゃんのあの絶妙な歌のドっぱずれ具合は天才!!爆笑しながら関心しきり......サポートミュージシャンの“おきあがりこぼし”(リサイクルショップで運命の出会いをしてしまったらしい)のカランコロン響き渡る妙音にも感動。で、イーヨ姫! カリンバ持って独りで歌う伝説の不思議ブリもスゴかったけど、あの方の声って素晴らしいピュアネスを放つ無垢な響きなのよね。しかし、本人めっちゃ気にしてたカリンバの音程て......こんなんゆうたらアレやけど、どこハジイて歌っても絶対いっしょやと思う(笑)。

 ・・・てな感じの流れで、イベントもついに大団円。愛のバトンリレーのオオトリは、今宵のヒロイン、ミド姐のステージだ。

・泪酒をあおりにあおり、酔いも最高潮。財●●夫とのデュエットで華々しく音楽シーンにデビューしたン十年前のご自身のシングル「償いの日々」をいきなり手元のCDプレイヤーでかけたかと思うと、財●氏に見立てたモンチッチ(本番直前にわざわざユザワヤで購入)を片手に、くちづけや抱擁も交えた濃厚なデュエットを披露し、(アレだけ見たらお客さんは、ミド姐て財●氏と付き合ってたんかしらと勘違いするちゅーのな)

・元不思議少女時代の音源をただ聞かせ、ただ鑑賞するしかない「レコード鑑賞」の時間をもったかと思うと、

・あげくの果てには泪酒をピアノん中にひっくり返して、青ざめたマン2スタッフが雑巾を持ってステージにかけあがってくる始末。(もちろんちゃんと歌も歌って....それが(当然)普段に増して心に沁みるブルーズ感じさせて、とても良くてね.....)

・締めのアンコールでは吉祥寺三姉妹がかり出され、切なくも悲しい定番「私の青空」を、“心の綺麗な人の心だけを浄化する見えない塩”をまきながら熱唱....。
 私のサポートでベースを弾いてくれたフジモトマミなんぞは、人一倍大声でステージ脇から爆笑しっぱなしで、終了後ぽつりと、「狂乱のライブでしたね....」と呟いていた。


 ・・・・と、いった具合だったのだが、いやしかし、オンナ達とのバカ騒ぎ、本当に、本当に楽しかった。


                         ◆

 さてここからはちょっと失礼。

 手前勝手なウンチクをこんな凄いライブのあとで書くのも野暮とは承知の上であえて言及させてほしいことがてんこ盛りなの。
 いいかしら?

 いやね、ミド姐という人は、繊細なんだけどとても剛毅なところがあって、いつも人前では自分を落として3の線に徹しちゃう人なのである。でも当然、ミド姐が人知れず流した涙の量も相当なものだったと思われる。(だってここんとこずっと目腫れてんだもん!“たまみ”by梅図かずおと言われる程....)そんな折り、本人発案でこのライブは決行されたのだ。そして、フタをあけたらば上記レポ通り、ライブハウス史上まれにみる珍奇爆笑イベントと化したのである。というわけで今日は、そのメカニズムについて考察してみたいと思う。(どこに行くのかしら?)

                         ◆

 あれだけの酔っぱらいにも関わらず、なぜ、原みどりは愛されるのか?
結論からいうと、原みどりには「諦念」が息づきはじめ、それにより「新しい在り方」にシフトしていっているからである。そこに人は癒しと救いを見いだすのである。......笑い、を伴って。

 まず、オンナ(ちゅーか、ニンゲン一般ね)が若くて青いときっつーのは、誰かにもたれかかったりつるんだりして、メソメソしながら慰めてもらおう、わかってもらおうとする傾向が、確かにある。しかし、オンナも段々経験値を積んでくると、強がりからではなく、周りに対して同情を乞うような涙を無自覚に垂れ流さなくなる。それは「弱きもの一般に対する、母性愛」とでも言ってしまいたいような性質であり、自分の思いはグっと飲み込んで、周りにメンドウを掛けまいとする思いやりのある態度でもある。

 平たくいえば、周りのニンゲン(もちろん、オトコとか)と、とことん付き合ってその実状を知るにつけ、自分と同様の.......あるいは同様以下の情けないほどの“弱さ”.....を、イヤっちゅーほど分かってしまったが故の「やむなき成長」でもあり、つくづくアテにできる存在なんぞこの世にはおらん、という「諦念」と、そうなるとなおさら弱いもんに面倒かけたらアカン、という「思いやり」、ほんなら自分のことは自分でなんとかするしかないやん、っちゅー「肝っ玉」、の三位一体が、「弱きもの一般に対する、母性愛」を目覚めさせるのである。弱いからこそ、強くなるのである。強さにはホンモノの弱さが必要なのだ。

 過去、女は“母”にならなければ一人前でない、という言説がまかり通っていた。
 今も根強く人々の奥底に存在する本音のひとつかもしれない。

 それを、今ここであえて「然り」と言い切ってみよう。
・・・・ただし、実際に子を産み育てなくても人は“母”になるのだ。

“母性”概念を、実際の子産み子育てのみの道具としてしまわずに、もっと拡大解釈して、「ある性質」を愛情を持って育むためのチカラと捉えてみればどうだろうか。例えば、「“諦念”をじっくり自己の内に育て、“完璧な諦念”を産み落とすことによって」母になるのである。

 姐さまには負けるが、この私だって、現在そんな“母”になるべく、バンバン“諦念赤ちゃん”をココロのお腹に育ててる真っ最中だ。しかし、まだまだ諦めがたりんから思いやりも薄く肝っ玉も足りん。もっと栄養とって産めよ増やせよってところだ。さらに言えば、「ニンゲン=弱きもの」相手に同情や承認を得ようとしてメソメソしている間は、「“諦念”を産むことを拒み続ける」、という意味で“母”に成りきれない、すなわち、一人前のオトナのオンナではないのだ.....なんてね(笑)

                         ◆


 それを受けて、もうひとつ。

 今度はそれとちょっと矛盾するようだが、オンナが本当のオトナになってから“涙もろく”なったりする、という“涙”について。篠原りかがMCで「最近自分は、ちょっとしたことでしょっちゅう泣く。小さい頃は全然泣かない子だったけど、その頃流し足りなかった涙を今になって流してるんだと思う」つってた、アレである。

 ここでいう涙というものは、前述の「同情を乞う涙」とは全く質が違う。むしろ、スポーツ時に流す「汗」(あるいは、上質の「酒」....後述)に、近いものである。

 幼い頃には、けっして認めたくなかった“痛み”というのが、誰にでもある。抑圧してきた感情、あえてフタをしてきた欲求......それらをずっとガマンして放置してきたことにより常習性の「凝り」になった痛み。
 そのカチカチの凝りはもはや誰に任せてもほぐしてもらえない.......長年積もり積もった凝りに対して、他人の一時的な指圧などではどうにもならんし、人が常に自分のツボをキチンと押してくれるとは限らない.......となると、ここらで観念して自分で自分をほぐすしかない。自分で自分の凝りをほぐす.....まさしくそれはスポーツであり「心の筋トレ」なのだ。

 「なんだか涙もろくなっちゃってきてること」とは、自らすすんで、ブンブン素振りしたりガシガシ走ったりして汗だくになっている状態のことなのである。「心の運動不足」を解消せんがために「心の汗」をかくのである。日々の生活のちょっとしたチャンスを見逃さず、さながら回転レシーブで積極的に「泣きに行く」ようになるのである。例えば.......本を読んでも映画を観ても仏像を拝んでも涙が出る。人の想いが身に染みてその有り難さにホロっと泣ける、健気でキレイで純粋なもんに触れるとサーっと泣ける、自分のバカさ加減に思わず笑い泣きする。そういうときの涙はまた、粘り気が皆無でサラサラの旨い酒みたいなもんだ。もちろんそれは、独り手酌で味わう上質の酒である。(別文脈だが「負け犬の遠吠え」の“嫌汁”という表現も、あれはあれで可笑しいよね)

 そして、そんな手酌の独り酒を知ってしまったオンナ達が寄り集まると、今度は一転して底抜けの明るい「笑い」パワーをまき散らす。これが、ホント〜〜〜におもしろいんだな。まさに、昨夜のライブはそれだった。それぞれがそれぞれのペースで手酌(まさに!)する者同士が宴会するのだから、酔いのペースもバラバラなら、酔い方も千差万別。突如として踊り出したり独り言しゃべり出すし、手酌だからある意味お互い突き放しているわけで、気遣いもヘッタクレもない。でも、お互いへのリスペクトはふんだんにある。何より、突き放しているからこそ「笑い」が次々に創出される。それはとっても「上機嫌」で喜ばしいものだ。くっつきすぎてるとものごと笑えないもんね。

                         ◆


 そうやって怒濤のイキオイで自分で自分を突き放してイベント企画しちゃったのが、ミド姐の昨夜のライブだったのではなかろうか。ミド姐の今回の「失くした恋」というものは、言葉を変えれば、「諦きらめた念」だったのではないか、と思う........そしてそれは、ポジティブな意味で受け取るべきものなのだ。.......あ、つまりもしかして“出産ライブ”だったのかも.....それはつまり、しっかり諦念に基づいていて、突き放したところで肝っ玉が座り、だからこそ思いやりが生まれ......そうなると不謹慎でもなんでもなく、辛いこと哀しいことがあってもシアワセなヴァイブレーションというのを生み出すことが出来るようになって、オバカで可笑しくて.......びゅんびゅん飛躍したが、それこそが「愛」なんじゃないかと思う。

 まあとにかく、こういうオンナドモと一緒にいるのはこのうえなく愉快だなあと思った。もちろん、あまりの出来事の数々に、後からドっと疲れたし、忘れたいシーンもたくさんあるけどね〜(笑)。は〜でもこんだけ書いてスッキリした.....合掌。

                         ◆

 吉祥寺三姉妹もボチボチがんばんなきゃ。ミーティングミーティング。
 
 ・・・あ、4/23(土)の、アタシの“独り酒の夕べ”にも、来てよね。
[PR]
by m_sasano | 2005-04-05 23:24